代表取締役会長 吉井 久善
弊社は、ダンボール事業をおこなっている企業の中でも歴史は古く、まだダンボールを手作業で作っていた時代から事業をやっています。卵や電球など、商品を木箱で梱包していたのがまだまだ主流でしたが、木箱からダンボールが使われ始めた昭和34年、当時29歳だった私は片面段繰機ひとつで創業しました。
インスタント麺や一眼レフカメラなど、当時革新的な商品が次々と発売された昭和38年にはダンボールの需要も急激に伸び、安定供給を実現するために簡易コルゲートマシンと最小の設備を導入し、製造工場を設立しました。
事業が軌道に乗ってきた頃、運搬時などに使われる木製パレットに、もっと軽くて丈夫なものはないかという声をよく聞くようになってきました。他企業も紙製パレット開発をこぞって始めましたが、すぐに潰れてしまうものばかり。どの企業も耐久性問題を乗り越えることができない中、ハニカムボードを使った紙製パレットが販売されました。
次々と企業がパレット開発から撤退しましたが、当時ハニカムボードは価格が非常に高く、とても貴重でした。私は、日本の技術と日本の安い紙で同じものが作れるだろうと思い、引き続き開発に取り組みました。
ダンボール事業を続ける傍ら、ハニカムボードの構造からヒントを得て構想を練り、パレット製造専用の工場と設備を整えて開発に勤しみました。しかし、ライナーとコアを繋げる接着力が弱く、すぐ壊れてしまいます。考えられる問題は虱潰しに調査し、あらゆる方法を全て試しても問題は解決せず、結果、紙製パレットの製造から撤退しました。
業界で紙製パレットの開発を進めていた企業はほぼなくなっていました。開発工場は閉鎖したものの諦めきれず、一人で紙製パレットの開発を続けました。再チャレンジと失敗を繰り返していく過程で、桁部分となる片面ダンボールで作られた紙筒状のものができました。それは、今までの試作品の中でも非常に耐圧に優れ、現在ではさらに改良を加えて1tもの重さにも耐えられる『ダンロール』という商品を完成させました。(特許取得)さらに、『ダンロール』の製造工程で、先の失敗の接着方法でアイデアが浮かび、今までの試行錯誤の結果と合わせパレット製造に応用すると、見事に問題をクリア。どんなに強く力を入れても剥がれないので、まさかここまで上手くいくとは思ってもいませんでした。
10数年の研究と、血の滲むような努力が詰まった自信作『ダンロール』が完成したことで、パレット生産へ踏み出しました。そして、さらに多くのお客様の声に応えるため、平成12年に会社を法人化し株式会社エコボードを設立しました。開発を始めてから30余年、お客様が求める強度とコストパフォーマンス、安定供給が実現できるよう、全てをかけて諦めずに完成まで走り続けてまいりました。エコボードの技術を持っているのは、世界で私たちだけです。エコボードは世界を変える技術だと確信しています。
私は、アメリカの紙と技術で作られたハニカムボードを見たとき、日本の紙と技術でも作れるだろうと思いました。
周りが「作れるのだろうか?」と疑問に思うことも、私は「作れる!」と確信して、本気になって開発を進めていました。結果、「絶対にできない」とも思ったことがありますが、失敗を糧にしてコツコツと試行錯誤を続けて『必ずできる!』という思いでエコボードを完成させました。
エコボードは、古紙を使っているのに木製に匹敵する程丈夫で軽く、100%リサイクルが可能。環境問題が重要視されている昨今、エコボードは非常に重要な存在だと思います。
既にパレットについては有効な特許を取得し、本格的に販売を開始しています。まだまだ木製が主流なので、実際に使うまでは不安が残るとは思いますが、一度ご使用頂いたお客様からは「エコボード以外は使えない!」と仰っていただけています。とくに、エコボードパレットは木製より軽く扱いやすいので、コスト削減と環境保全に大きく貢献していると喜ばれています。エコボード製品は環境にやさしく、他に負けない競争力があり、適正規模の工場を持つことが私の生涯の仕事だと思っています。